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東京地方裁判所 平成2年(ワ)12414号 判決

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

及川信夫

西内聖

被告

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

前田守彦

外四名

被告

右代表者法務大臣

後藤田正晴

右指定代理人

開山憲一

外一名

主文

一  被告東京都は、原告に対し、金三〇万円及びこれに対する平成二年一一月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告東京都に対するその余の請求及び被告国に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告と被告東京都との間においては、原告に生じた費用の六分の一を被告東京都の負担とし、その余は各自の負担とし、原告と被告国との間においては、全部原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自金一〇〇万円及びこれに対する平成二年一一月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告が身柄を拘束され、起訴された経緯

(一) 原告は、昭和六三年七月二〇日午後三時一五分ころ、東京都渋谷区〈番地略〉所在のレストラン「サボイ」(以下「サボイ」という。)店内において、たまたま客として居合わせたA男(以下「A」という。)及びB女(以下「B」という。)と煙草の煙をめぐり喧嘩となり、同人らから顔面に相当回数の殴打を受け、加療約一週間を要する顔面打撲、挫傷の傷害を負った。

右喧嘩は、サボイの店員の仲裁で収まったが、間もなく原宿署の警察官が同店に到着し、原告らは同日午後三時四五分ころ同店近くの神宮前派出所に移動した。

(二) 原告は、その後一人で東京都港区〈番地略〉所在の北青山病院(以下「北青山病院」という。)へ行って治療を受けた後、警視庁原宿警察署(以下「原宿署」という。)に出頭を求められ、同日午後七時ころから取調べを受けた。そして、取調べが終了した同日午後一一時ころ、原告は取調警察官から、突然身柄を留置する旨告げられ、原宿署留置場において、同月二三日まで身柄を拘束された。

(三) 原告は、同月二二日、身柄を検察庁に送致され、翌二三日、在庁で略式起訴されて罰金一〇万円を求刑され、同日罰金一〇万円の略式命令を受けた。

2  身柄拘束中の同房者による暴行脅迫行為

原告は、身柄拘束中の昭和六三年七月二二日午後七時三〇分ころ、原宿署留置場六号室内において、同房であった佐川某から、足蹴り等の暴行を受け、逃げながら助けを求めたが、留置場の看守係警察官(以下「看守」という。)はこれを黙殺した。

その後も、原告は、房の前にある水飲み場にやってくる拘禁者から四、五回にわたり水を掛けられ、脅迫を受けるなどしたが、看守はこれを目撃していたにもかかわらず、何ら制止することなく放置した。

3  被告らの責任原因

(一) 原宿署警察官及び看守の違法行為

原宿署警察官は、逮捕状なしに、原告の身柄を三日間に渡って違法に拘束し、また、看守は、原告が、その身柄拘束中同房者から暴行、脅迫を受けた事実を認識しながら何らの措置も取らなかった。

(二) 検察官の違法行為

本件は、逮捕の理由、必要性のない軽微な事案であるのに、原告は前記のとおり違法に身柄を拘束されたものであるところ、検察官は、これを認識しており、或いは容易に認識することができたのであるから、身柄の送致を受けた段階で直ちに原告を釈放すべきであったにもかかわらず、身柄を拘束したまま略式命令を請求し、罰金一〇万円という異常に重い求刑をした。これは、公益の代表者として適正に検察権を行使すべき検察官の義務に違反する違法な行為である。

(三) 被告らの責任

原宿署警察官及び看守は東京都の公権力の行使に当たっていた公務員であり、検察官は国の公権力の行使に当たっていた公務員であって、前記各行為はそれぞれその職務を行うにつきなされた不法行為というべきであるから、被告らは、原告の被った後記損害を賠償する責任を負う。

4  損害

原告は、右原宿署警察官及び看守並びに検察官の不法行為により、三日間も行動の自由を奪われ、予定していた仕事ができずに大きな損失を受けたうえ、肉体的、精神的に極めて大きな屈辱を受けた。この原告の精神的苦痛を慰謝するには、一〇〇万円を要するというべきである。

5  よって、原告は、国家賠償法一条一項に基づき、被告らに対し、各自一〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である平成二年一一月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

(被告東京都)

1 1について

(一) (一)はおおむね認める。ただし、喧嘩の発端は原告がBにコップの水を掛ける暴行を加えたことであり、他に原告はA及びBの頭髪を強く引っ張るといった暴行を加えている。

(二) (二)のうち、原告が北青山病院で診察を受けたこと、原宿署警察官が昭和六三年七月二〇日午後六時三〇分ころから原告を取り調べたこと、右取調べが同日午後一一時ころ終了したこと、原告の身柄を同月二三日まで拘束したことは認めるが、その余は否認する。

(三) (三)は認める。

2 2は否認する。

3 3(一)は否認し、同(三)は争う。

(被告国)

1 1について

(一) (一)及び(二)のうち、原告がサボイ店内において三谷から顔面を殴打されたことは認め、その余は否認ないしは不知。

(二) (三)は認める。

2 3(二)は否認し、同(三)は争う。

三  被告らの主張

(被告東京都)

原宿署警察官は、以下のとおり原告を現行犯逮捕して適法に身柄を拘束したものであり、何ら違法な行為をしていない。

1 昭和六三年七月二〇日午後三時五五分ころ、原宿署警ら課警ら第四係巡査後藤隆(以下「後藤巡査」という。)は、神宮前派出所において勤務中、サボイの従業員から、客同士が喧嘩をしている旨の通報を受け、直ちに同店に向かうとともに、無線で応援を求め、これを聞いた同係巡査部長中島信二(以下「中島巡査部長」という。)及び巡査飯塚茂夫(以下「飯塚巡査」という。)も、パトカーで同店に急行した。

2 中島巡査部長らがサボイ店内に入ったところ、原告がA及びBと向かい合っており、原告の左顔面が赤く腫れて血が滲み、また、B及びAの頭髪が乱れていたほか、Bの上着が濡れ、右足脛には血が滲んでいた。さらに、付近にはテーブルが倒れ、ガラスが割れて床に散乱し、壁掛けのパネル板も割れて散乱していた。

中島巡査部長らが、現場で事情聴取したところ、原告は、A及びBの頭髪を引っ張ったり、Bの足を蹴ったりした旨、Aは、原告の顔を数回殴った旨それぞれ供述した。そこで、同巡査部長らは、原告及びAが暴行の事実を認めたこと、原告及びBの負傷状況、B及びサボイの店員である松下圭一郎(以下「松下」という。)からの事情聴取の結果並びにテーブル及びパネル板の破損状況等から、原告及びAを傷害の現行犯人と認め、両名を同日午後四時ころサボイ店内において現行犯逮捕した。

3 中島巡査部長らは、現場にパトカーが一台しかなく、被疑者両名を同一車両で連行することは適当でないこと、原告及びBが負傷していたことから、とりあえず原告及びAを神宮前派出所に連行し、Bも同行した。

同巡査部長は、原告及びBの負傷状況から、両名に医師の治療を受けさせる必要を認め、同人らも医師の診察を受けたい旨申し出たため、後藤巡査に対し、原告及びBを右派出所から約四〇〇メートル離れた北青山病院に連れて行くように指示し、同巡査は、両名を徒歩で同病院へ連れて行き、医師の診察を受けさせた。

一方、中島巡査部長及び飯塚巡査は、Aを原宿署に連行し、同日午後四時二〇分、同人を同署司法警察員巡査部長金井信夫に引致した。

4 中島巡査部長は、同日午後六時ころ、後藤巡査から原告及びBの診察が終了した旨の連絡を受け、直ちにパトカーで北青山病院に向かい、原告を後藤巡査とともに右パトカーの後部座席に乗せて原宿署に連行し、同日午後六時二五分ころ、原告を同署司法警察員警部補杉山大(以下「杉山警部補」という。)に引致した。

杉山警部補は、同日午後六時三〇分ころ、原告に対し、現行犯人逮捕手続書記載の犯罪事実の要旨及び弁護人を選任することができる旨を告げたうえ、弁解の機会を与え、弁解録取書を作成した。同警部補は、引き続き原告の取調べを行い、供述調書を作成し、同日午後一〇時五〇分ころ取調べを終了したが、原告がBに対する傷害の事実を否認したことや、被害者が女性であることから、原告を釈放すれば圧力を掛けるなどの証拠湮滅の恐れがあると判断し、また、原告は単身でイラストレーターという自由業であったため逃走の恐れもあると判断し、留置の必要性を認め、原告を原宿署内の留置場に留置した。

(被告国)

1 中島巡査部長らは、現場の状況、サボイ店員の供述、原告らの弁解等を総合して、原告を傷害の現行犯人と認め、原告の住所氏名の確認が取れず、また、職業が安定したものではなかったことから、逮捕の必要性を認めて原告を現行犯逮捕したものであり、取調べを担当した杉山警部補は、原告が犯行を否認しているうえに、被害者が女性であることから証拠湮滅のおそれがあったこと、拘束性に乏しい職業で逃走のおそれがあったことから、留置の必要性を認めて原告を留置したものであって、逮捕手続及びその後の留置手続は適法になされた。

また、原告は、検察官の取調べに対し、逮捕の違法、不当を訴えた事実は全くなく、また、現行犯人逮捕手続書及び弁解録取書が作成されており、逮捕手続の違法性を窺わせる証拠は全くなかった。したがって、仮に逮捕手続に何らかの瑕疵があったとしても、原告を釈放しなかった検察官に過失はない。

2 検察官は、原告に対し、略式手続について告知し、異議がないことを確認して略式命令を請求しており、罰金一〇万円の求刑も適正、妥当なものである。また、そもそも、検察官の求刑は意見の陳述にすぎず何ら裁判所の判断を拘束するものではないから、これが処断刑を超えるような場合は格別、当不当の問題を生ずることがあっても違法性を帯びることはあり得ない。

四  被告らの主張に対する原告の反論

1  被告東京都の主張に対する反論

(一) 原告は、昭和六三年七月二〇日午後三時四五分ころには、サボイを出て神宮前派出所に移動し、その後一人で、タクシーを利用して北青山病院へ行ったのであり、中島巡査部長らが同日午後四時ころ原告を現行犯逮捕した事実、後藤巡査が原告を北青山病院まで連行した事実はいずれもない。その旨の記載のある現行犯人逮捕手続書は、虚偽の事実を記載したものである。

また、原告は、同日午後五時三〇分ころ、北青山病院でA及びBに会っており、Aが現行犯逮捕された事実もない。

(二) 原告が、同日午後六時二五分ころ、原宿署において杉山警部補に引致された事実はない。原告は、午後六時ころ北青山病院での診察が終了した後、神宮前派出所に立ち寄り、午後七時ころパトカーに乗せられて原宿署に着いたのである。また、弁解録取書を取られたのは、午後一一時ころである。

2  被告国の主張に対する反論

原告は検察官に対し、警察に留置されたことについて何度も抗議している。原告は、法律には素人であるうえ、自分が逮捕されたという認識がなかったため、逮捕手続の違法性を的確に主張できなかったにすぎない。また、検察官自身逮捕手続の違法性を認識していたことは、原告の異議により本件が正式裁判に移行した後、第二審に至るまで検察側が現行犯人逮捕手続書の証拠調請求をしなかったことからも明らかである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一1  事実欄に摘示した当事者間に争いがない事実及び証拠(〈書証番号略〉、証人小川郁朗、同松下圭一郎、原告本人)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告が身柄を拘束され、起訴されるに至った経緯は次のようなものであったと認められる。

(一)  原告は、独立したイラストレーターとして、出版物のイラストの仕事に従事していた者であるが、昭和六三年七月二〇日午後三時四〇分ころ、サボイにおいて食事をしようとした際、隣のテーブルで食事をしていたA及びBと喫煙をめぐって口論となり、激昂した原告がBにコップの水を掛けたことから、同人らとの間で喧嘩となり、原告がA及びBに対し、その頭髪を引っ張る暴行を加え、Aが原告に対し、その顔面を殴打する暴行をそれぞれ加えた。右喧嘩は、サボイの従業員が止めに入って収まったが、原告はAの暴行により、顔面に約一週間の通院加療を要する打撲傷及び挫傷を負った。

(二)  間もなく、サボイの店員の通報を受けた中島巡査部長と後藤巡査とが同店に到着した。その時点では、既に喧嘩は収まっていたものの、テーブルが倒れ、ガラスの食器等が割れて床に散乱している状況であった。中島巡査部長らは、その場では事情聴取することなく、すぐに、原告、A及びBをサボイから一〇〇メートルほどのところにある神宮前派出所に任意同行し、原告らから簡単に事情聴取をした。

その後原告は、一人で同派出所前からタクシーを使って北青山病院へ行き、治療を受け、午後六時ころ右治療が終了したので、再び神宮前派出所に戻ったところ、警察官から原宿署まで出頭するように言われ、同派出所に出頭したサボイの店員松下とともに、パトカーに乗って原宿署へ移動した。その際、原告は松下とともにパトカーの後部座席に乗車し、警察官は前部座席に乗車した。原告は、原宿署において、午後七時ころから午後一一時ころまで杉山警部補の取調べを受けたが、右取調べが終了したのち、同警部補から、身柄を留置する旨告げられ、同留置場に留置された。

(三)  原告は、その後同月二二日に検察庁に身柄を送致され、翌二三日在庁で略式起訴(求刑罰金一〇万円)されて釈放されるまで、原宿署留置場において留置された。

2(一)  これに対し、証人中島信二、同後藤隆及び同杉山大は、①中島巡査部長及び後藤巡査は、サボイにおいて原告を傷害の現行犯人として逮捕し、②後藤巡査が原告をBとともに北青山病院に連行して治療を受けさせ、③原告らの治療が終了した午後六時ころ、中島巡査部長が原告をパトカーで北青山病院から原宿署に連行して杉山警部補に引致した旨の証言をしている。また、〈書証番号略〉によれば、被告らの主張及び右各証言に沿う現行犯人逮捕手続書が作成されていることが認められる。

(二)  しかしながら、原告を北青山病院に連れて行って診察を受けさせたとする証人中島及び同後藤の証言は、原告を、喧嘩の対立当事者であり、被害者でもあるBと共に、後藤巡査一人だけの監視のもとに、しかも通行人で混雑している通りを徒歩で連れて行ったというもので、逮捕された被疑者の取扱いとしては極めて不自然な内容である。特に、証人後藤は、サボイ店内の状況については極めて詳細に記憶しているにもかかわらず、原告を北青山病院に連れて行くことになった経緯、同病院内の状況、原告に診察を受けさせる際の手続や治療費の支払関係についてはほとんど記憶しておらず、極めて曖昧な証言に終始しており、同証人が実際に北青山病院に行ったのかどうか極めて疑わしい。また、同証人は、逮捕当日原告の診断書が取れた旨供述するが、〈書証番号略〉及び証人杉山の証言によれば、当日行われた原告の取調べの際には診断書はなかったことが窺われ、さらに、同証人と証人中島は、現行犯人逮捕手続書の作成者についても互いに食い違う証言をしている。

以上のように、証人中島、同後藤及び同杉山の証言は、それ自体信憑性に欠けるものであるうえに、客観的立場にあり十分信頼するに足りると認められる証人松下の証言とも矛盾するもので、到底採用できないといわなければならない。

なお、原告本人の供述の骨子は、①サボイに警察官が到着すると、すぐに神宮前派出所に移動した。②神宮前派出所から北青山病院まで一人でタクシーに乗って行き診察を受け、診察終了後は徒歩で神宮前派出所に戻り、そこからパトカーで原宿署に向かった。③診断書は、保険証がなかったので、翌二一日、知人に依頼して取ってきてもらった、というものであるが、これらの供述は、証人松下及び同小川郁朗の各証言と一致するほか、〈書証番号略〉によっても裏付けられ(証人小川の証言によれば、〈書証番号略〉(領収書)の料金は、神宮前派出所から北青山病院までのタクシー料金として必ずしも不自然ではないことが認められる。)、おおむね信用することができる(なお、〈書証番号略〉によれば、本件が正式裁判に移行した後の刑事公判手続における被告人(原告)供述調書には、「徒歩で一〇分くらいかかり病院へ行き」との記載があることが認められるが、当時原告は、無罪を主張して争っており、事件直後の身柄拘束の有無が争点になっていたわけではないことが認められること(原告本人)、右は要約調書であって必ずしも原告の発言をそのまま記述したものではないことから、この記載のみをもって原告の供述を排斥すべきではない。)。

そうすると、右証人中島、同後藤及び同杉山の各証言に沿った内容となっている現行犯人逮捕手続書(〈書証番号略〉)の記載も採用することはできない。他には、原告の留置前に適法な逮捕手続がとられたことを認めることのできる的確な証拠はない(なお、〈書証番号略〉によれば、原告を現行犯逮捕したことを前提とした弁解録取書が作成されており、右には昭和六三年七月二〇日午後六時三〇分ころに作成した旨の記載があることが認められるが、原告本人尋問の結果に照らすと、右録取書が真実午後六時三〇分ころに作成されたものであるかどうか疑わしく、これにより原告が現行犯逮捕された事実を認めることもできない。)。

3  次に、原告は、身柄拘束中同房者から暴行、脅迫を受けたにもかかわらず、看守がこれを制止しなかった旨主張し、原告本人は、この点につき、検察官に身柄を送致された昭和六三年七月二二日夕方ころ所持金の確認を行った際、原告が看守に対し現金が大きな紙幣に両替されていたことを抗議したところ、それを聞いていた同房者が房に戻った原告に対し、生意気であるとして腹部を殴打する等の暴行を加え、看守は目の前でそれを目撃していながら何ら制止しなかった旨、右暴行を加えられた際、房の入り口が開放されていた旨、その後、原告の房の前にある水飲み場に来る数名の在監者から水を掛けられたり脅迫を受けたりしたにもかかわらず、看守がそれを認めながら制止しなかった旨供述している。

しかしながら、証人本田弘の証言によれば、在監者が水を飲みに行く際にも、必ず看守が監視しているため、仮に他の在監者の房に水を掛けるなどの行為に出れば必ず看守の目に留まり、これを制止しないということは考えられないこと、警察預かりの所持金が大きな金銭に両替されるということは通常起こり得ない事態であること、留置場内において、在監者のある房の入口を開けたままにしておくことはおよそ考えられないことが認められ、これらの事実に原告の前記主張を裏付けるに足りる客観的な証拠が全く存在しないことを考え合わせると、原告の供述のみから、原告主張の事実を認めることはできない。

二以上を前提に、被告らの責任について検討する。

1 前記認定の事実によれば、原告は、Aらとの喧嘩に関する取調べが終了した昭和六三年七月二〇日午後一一時ころ、何ら適法な逮捕手続を経ることなく突然留置する旨告げられ身柄を拘束されたものであることが認められるから、同時刻以降の原宿署留置場における身柄拘束は違法なものといわなければならない。

そして、原宿署警察官が被告東京都の公権力の行使にあたる公務員であることは当裁判所に顕著な事実であるから、被告東京都は、違法な身柄拘束によって原告が被った後記損害を賠償する責任を負う。

しかし、原告が留置場において同房者に暴行、脅迫を受け、看守がこれを黙認した事実を認めることはできないから、看守の違法行為を前提とする原告の請求は理由がない。

2(一) 前記判示のとおり、本件における原告の身柄拘束は違法なものであったから、検察官が、原告の身柄の送致を受けた後もその拘束を継続したことは、やはり違法であったというべきである。

そこで、原告を釈放しなかった検察官の過失の有無について検討する。

証拠(〈書証番号略〉、原告本人)によれば、本件においては現行犯人逮捕手続書、弁解録取書が作成されており、右各書面はそれ自体不自然な体裁を伴っているものではなく(なお、原告は、現行犯人逮捕手続書が、正式裁判に移行した後に偽造されたものであると主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。)、原告は、検察官の取調べの際に、逮捕手続が違法であること、あるいは現行犯逮捕された事実がないことを訴えたことがないこと(原告は、身柄拘束が不当であると訴えた旨主張するが、原告本人尋問の結果によっても右事実を認めることはできない。)が認められる。また、一1で認定した事実に照らせば、本件は必ずしも現場において原告を現行犯逮捕する要件がなかった事案とはいえず、また、原告が犯行の一部を否認していたこと、被害者が女性であること等からすれば、留置の必要性がなかった事案ともいいがたい。

これらの事情を勘案すれば、本件において検察官が、現行犯人逮捕手続書の記載に特に疑いを差し挾まず、また、現行犯逮捕及び留置の要件もあると考えて、原告の身柄を直ちに釈放する手続をとらなかったことに過失は認められず、原告のこの点に関する主張は理由がない。

(二) 次に、原告は、検察官が略式裁判を請求し、罰金一〇万円の求刑をしたことが違法である旨主張する。

しかしながら、原告本人尋問の結果によれば、原告は略式命令によることに異議がない旨述べたことが認められるところ、身柄の拘束が違法であったとしても、直ちに刑事訴訟法所定の手続を経てした略式裁判の請求までが違法となるものではなく、また、検察官の求刑意見は、単なる意見の陳述であって、原則として違法の問題を生ずることはないというべきであるから、この点に関する原告の主張は理由がない。

(三)  したがって、原告の被告国に対する請求は理由がない。

三損害について

原告は、昭和六三年七月二〇日午後一一時ころから同月二三日まで原宿署留置場に違法に留置されたのであるから、これによって、精神的苦痛を被ったことは明らかというべきである。そして、前記のとおり、本件は現行犯逮捕及び留置の要件自体がなかった事案ではないこと、留置の期間も三日間と比較的短期であること等を総合勘案すると、原告の精神的損害に対する慰謝料としては、三〇万円が相当であると認める。

四結論

以上の次第で、原告の請求は、被告東京都に対し三〇万円及びこれに対する不法行為の後である平成二年一一月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、被告東京都に対するその余の請求及び被告国に対する請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言については民事訴訟法一九六条(ただし、仮執行免脱宣言は相当でないから付さないこととする。)をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官赤塚信雄 裁判官綿引穣 裁判官谷口安史)

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